2013年4月28日日曜日

そのひゃくにじゅうなな

毎年恒例の、高槻市のギャラリーマーヤさんで行われる石川武志さんの展覧会。

今年もここ何年か続いているモノクロの作品展のようです。東京のゑいじうさんと合わせてもう早、パート5。

今年は一曲歌わせてもらえるようにお願いしました。現時点でまだ作ってないんですけど…。既存の歌ではなくて、ここしばらく続いている石川さんのモノクロをテーマにした作品のテーマソングになるように作っています。

展示自体は5月2日から5月7日になっています。時間な12時〜18時まで。

ワシが歌わせて頂くオープニングパーティーは5月3日の18時からになります。無料ですのでよろしくお願いします。

石川武志展 モノくろ ものクロ part5
5/2(木)〜5/7(火)
12時〜18時

5/3日(金)18時〜 オープニングパーティー

ギャラリーマーヤ
569-0804
高槻市紺屋町3-1-216 グリーンプラザ3号館2F

JR高槻駅から徒歩1分 阪急高槻市駅から徒歩8分


となっております。
詩だけできました。間に合います。


大きな地図で見る

そのひゃくにじゅうろく

ワシは高校を辞めた。もう16年(?)程のことである。

理由は簡単、三年生に上がれなかったから。


あ、このお話はきっと前世やその更に前の前世にもしている。


学校は退屈だった。だいたい通学の電車の定期とバスの定期は自分で支払っていた。バスに乗らないと駅から絶望的にとおく、又坂道だった為にバスに乗らないと学校に行けない。

バス代が無い時は同級生を捕まえてお金をせびった。返したかどうかなんて覚えてない。ジュース代もよくせびった。

それでも行く気にならない時は、比較的安い電車の定期は三ヶ月に一度買えていたので、一駅先のかっちゃんの家によく行った。

あいつは割と真面目に通っていた。かっちゃんの家には鍵がかかっていなくて、自由に出入りできた。そこで俺はテレビを見たり寝たりして夕方まで過ごした。

夕方からは毎週5日ないし6日のホットケーキ工場に通っていた。そっちは割りと真面目に通っていた。時給も高校生なのに千円くれた。年2回は10万円以上のボーナスがあった。仕事はしんどかったけど、年上の奴らとつるんでよく悪いことをした。もう時効(パクられてもいいけど)工場のものを盗んだりした。もちろん工場の人が快く持って帰っていいよと言ってくれたこともあった。そもホットケーキは次に日学校に持って行って「ご自由にお取りください」と貼紙を貼り、人気あったと思う。

バイトにはリキも少しだけ来てた。まだ顔を知ってるだけで全然仲良くない時。それでも、何かの時にかっちゃんの家から自分の家に帰る用事があって、その時リキが単車に乗せてくれた。SRやったと思う。

バイクも好きやった。自動二輪の免許を獲ろうととしてすぐにポリに捕まり、免許は獲れなくなった。無免で車運転して単車盗みに行ったこともある。

あの時はいちばん欲望があった。どれだけお洒落な格好を出来るか、どれだけ格好良い音楽を知っているか。今の今まででいちばんギラギラしていたように思う。


ワシが三年生に上がれなかったのは、決して出席日数が足らないわけでも単位が足らないわけでもなかった。どちらも「ギリギリ」足りていると担任の教師に言われた。じゃあなんでダブるかと問うても結局明確な答えは帰ってこなかった。それは後にワシの担任への「素行不良」というしょうもない結果だったと分かった。

学校にその後の進路の話をしに行く帰り、お母さんと食事へ行った。結局彼女が死ぬまでこの事ははなさへんかったけど、どういう風に思ってたやろう。学校を休むのは全て自分で連絡したから変にズル休みになっていない。暴言とか軽く暴れたり、

でも彼女はそれを知った時や、ワシが学校教師に対して暴言を吐いたり暴れたりすること、まあたまたまたやけどタバコや酒で停学にはならへんかったけど、それを知った時はどう思ったやろうろ。やっぱり悲しかったのか、うちの母親を知る人間なら「もっとやれ」と言ったかも知れない。れは本当に聞いていくべきやった。

学校をダブった日のことは強烈に覚えてる。前日連絡があった時からこれからどうするべきかずっと悩んだ。一睡もできなかった。元々高校へは行きたくなく、音楽をやりたかった俺は、一学期にはほんまに怠惰に過ごした。授業は出ない。テストは白紙で出すか休むか。自ずと「辞められる」方向へ向かっていった。

でもこれは未だに覚えてないことやけど、なぜか急に奮起した時期があった。恋人が出来たからかも知れない。それはもうほんまに覚えてへん。

結局学校を辞めた自分は、高校の卒業資格を獲れる通信制の高校へ通った。週2回、1日多くても3時間しかない学校やった。空き時間はゲーセンかパチンコ。年齢も容姿も様々な奴が通っていて、ほとんど友達ができなかった。逆ナンしてきてきた女の子としょうもないヤンキー2人と一つ下のおどおどした奴やった。

結局こいつらとは卒業後も一切連絡も会うこともなくなり、「田中」っていういちばん覚えやすい奴の名前しか覚えてない。いちばんクソやった奴。しばいたったら良かったけど、その頃俺は少し穏やになっていた。

卒業する前、学校のない日はかっちゃん、の家に入り浸った。おばちゃんも何にも言わん人やったしは、なんなら面倒見てくれたくらいらほんまに世話になった。

ある日、かっちゃんも学校をおもしろくなさそうに過ごしてたから、学校まで連れて行って辞めさせた。今こうやってFacebookなんかで繋がっている同級生、俺のことを覚えてくれてたみんなでも知らんこともあるやろうけど、あいつを辞めさせたのさ俺や。中々そういう奴もおらんやろうけど、俺は簡単にやった。学校の門入ってちょっとある階段の所でずっとタバコ吸って待ってた。「お前今から辞めて来い」って。

はっきり言って覚えてないけど、その時のかっちゃんの顔は後悔もしてなかったしら、むしろ晴々としてたように思う。


高校を卒業して何年かして、一緒に暮らす寺さんとリキと再開した。二人はバンドをやっていた。俺とかっちゃんも音楽をやっていたけたど、リキはそれを一回聴いて海外へ逃げた。でもそれは格好悪いことじゃなくて、ある種修行みたいなもんで、ミュージックジャンキーたちがこぞって音源を探すことと一緒で、あいつはそれを旅」という俺には真似できへん素晴らしいもので補った。寺さんは高校の頃からお洒落で、ウォルトなんて来てたもんやけどそれも落ち着いて、もっと格好よくなった。


寺さんとの再開もよく覚えてる。某地下鉄の駅の階段を上がっていたら、「おー、西田。久しぶり!」と声をかけてくれた。彼もまた自分を覚えていてくれたことに感謝しts。

程なくして4人とタップ、それに豊がバンドに入ってくれた。最高にロックンロールやった。豊なんてポルシェでライブハウスに来てた。タップはいつもリハが終わるとシャワーを浴びに帰っていた。


結脇バンドは開催したけど、この6人と後任ドラマーのふっし、宿担当のNっち、お手伝いを凄く懸命にやってくれたAちゃんとJちゃんとCっちに今でも感謝してる。

バンドがあったかないかは分からんけど、豊、羽田、増田、長岡、村田、藤本、磯辺、晶子ちゃん、おばお、熊ちゃん、真二郎、村上、竹さん、あと抜けてたらすまん!学校はほとんど絡むことのなかつたみんなと、イレギュラーやけどあんくんとなおっちとはっちゃん、みんなが俺を覚えててくれたことがほんまに嬉しかったし、こうして浅かれ深かれ、同級生みんなと繋がってくれていることに感謝するとともに、


同窓会ってやったことあんの?
ぜひ誰か教えて。
実は結局それが聞きたいねん…。

損で俺は今、Facebookで特に活躍を見かける羽田と増田という二人のクラスメイトに誇りを持っています。もう16,7年会ってないけど、想像を絶するくらい頑張ったんやな。中々会えないけど、応援してます。楽しんで頑張ってくださ。

ザ・ソロシップスは今はやってないけど、何年経ってもまたらやるから一回観に来てね。度肝抜いたるわ。40になっても50になってもやるから。

※豊おる時の写真無いんねん、ごめんな!!


そのひゃくにじゅうご

昨晩、うちのマンションで火事騒ぎがありました。
「ボヤ騒ぎ」ってよく聞くけど、実体験は始めてやったから火事騒ぎ。

ワシの部屋のちょうど二つ下の部屋でした。けたたましい音の火災報知器が鳴り、みんな割とそういうのはイタズラか誤作動かとしばらく何もしないこともあるけど、ちょうど別件でイライラが最高潮に爆発していたので、イタズラや何かだとそのままやかってやろうとすぐに階段を降り(うちは最上階)、ただ本当に只事ではないかも分からないので携帯電話だけ握りしめて降りました。

やっぱり人はあんまり出てきていず、ドアから顔を覗かせるだけの人もいましたが、臭い。異臭がする。この段階では煙も見えなかったので、ひとりイライラ通路を彷徨い、自分の部屋から2フロア降りた部屋で若い女の子と鉢合わせし、その途端に一つの部屋のドアが開き、中から物凄い量の黒煙が辺りに散らばりました。

部屋は真っ暗だったので火は無い事がすぐ分かりましたが、すぐに女の子と部屋を除くと中からおっさんが「水、水」と言っていて、女の子は凄く果敢で部屋の中まで入って行ったのだけれど、ワシは色んな意味で「これは意味ない」と思い、自分の部屋へ戻りながら消防へ連絡し、ベランダ(広い)のドアを開け放し、バケツとランプを持ってまた下へ降りました。

その間、3分もなかったけれど、当事者の部屋の前には水がこぼれていて、女の子もおっさんも外へ逃げていました。その女の子がひとりで水をかけたかどうかは分からないけれど、同じフロアの人たちときっと協力して消火活動をしたのだと思います。勇敢やった。ワシは逃げた訳じゃないけれど、ある種ドライなので無茶はしません。死んでもいいとも言わないし、何かを助ける為にワシは死にませんな。


この間は本当に3分かかったかどうかくらいの短い時間。消防車はすぐに二台来て、「ああ、消防車は一通は無視していいんやわな」とか考え、あたふたしてる他のくそじじい達に管理会社へ連絡したかとか、消防の人を誘導しながらも、「こいうい訓練は実際にあってみるとほとんど意味がないな」と思ったり、念のために部屋から持ち出した現金の入っていない財布と、勇敢だった女の子との想いの違いと、その場にいるマンションの住人たち「あー、こんな色々な人がおんねや」ファイヤーマンたちの無茶苦茶かっこいい姿と、ワシの部屋とは真逆の屋上からタバコをふかして傍観してる馬鹿「あー、あいつ死なんかなあ」とか、新聞記者らしき姉ちゃんのがめついくらいの早い現場への到着に、「ああ、ワシは誰にも優しくないわ。むしなんてクソな人間!」なんていろいろ考えました。


火の手があがってかどうかは分からないけれど、本当に凄い黒煙だった。今まで火事のニュースを見て「一酸化炭素中毒で死亡」とよく報道されるけれど、あれはほんまにすぐ死ぬと思いました。きっとあの場にいた人間があのけたたましい黒煙を1分でも吸い続ければ、誰か死んでたとおもいます。だからあの時部屋に突っ込んで行った女の子は凄い勇気の持ち主だと思いました。ワシが先頭ならワシが先に行っていましたが、へなちょこなので倒れてたと思います。


消防隊の方たち、めちゃくちゃかっこよかったです。全部で30人くらいの人がいましたが、みんなかっこよかったです。マッポはまあ、、、マッポや。

ワシが通報したということと、誘導したということで住人の方が部屋に戻った後も残るように言われました。「ああ、これはきっとバームクーヘン貰える」って期待しましたが、消防からの聞き取りと職務質問だけでした。マッポはまあ、、、やっぱマッポやな。

その当事者のおっさんは一人暮らしで、ワシが毎朝ヒステリックになるくらい腹たつ『玄関ドアバタバタドデカイ音立て開け閉め夫婦』やったらこれにかこつけてきゃん言わしたるねんけど。ちっ。


怖くはなかったですけど、人は簡単に、思ってたよりももっと簡単に死ぬと思いました。


「まあ、誰も何事もなくて良かったです!」


なんて思いません。おかげで晩ごはん、ビスコ(40円の)やったぞ。2つ下のおっさん、今度うちの郵便受けにバームクーヘン入れとけよ。

2013年4月26日金曜日

そのひゃくにじゅうよん

SoundCloudの自分のアカウントを作り直して、chap tuneの作品をアップロードしていくことにしました。

https://soundcloud.com/sun24music

ここから聴けますし、ダウンロードもできます。曲順通りにアップロードしていきますが、順番通りに並ぶのかあまり期待出来ないので、各曲のURLの末尾に「-01」「-02」としてあるので分かると思います。

パンダのアイコンの『blo[c]ken jr』というのがプレイリストみたいになってるので、きっとアルバムみたいに聴けるんだと思います。

これより前に作ったカセットテープの作品を人には聴いて欲しいのだけど、カセットテープを再生する機械がないので、保存も兼ねて近々CD化してからまたアップロードします。

まだ全然なんにも音はないけども、何か知ってもらう(昔は知られたくなかった)術はないかなあといろいろ試したりしてますがあんまりうまくいきません。

2013年4月25日木曜日

そのひゃくにじゅうさん

ブログタイトルの字の色がずっと気にいらないです。

そのひゃくにじゅうに

chap tuneのSoundCloudアカウントができました。アップロードが主目的ではなく、主に制作目的ですが。

、、、なんのこっちゃ分からんと思いますが、chap tune(チャップチューン)とは、ザ・ソロシップス、safarisとキャリアをともにしてきたkat-changと十代の頃にやっていたバンドです。
それを、うーんと、10年ぶりくらい?に再開します。ちなみに最後にやったのはザ・ソロシップスとの対バンでした。(ワシとかっちゃん未加入)

二人だけで音楽をやるのは、ワシ個人としてかなり劣等感がありました。「主」となるものはほとんどかっちゃん主体ではないか、とか、いろいろ勝手に考えてました。本人に話したら自分は何も考えてなかったって。

昔、十代の頃にカセットテープで作品を作りました。リキがそれを聴いて、後に「お前らは生まれてくるのが早かったんや」と言いました。
歌詞カードを両面にしたいが為に別々の紙を二人で端っこ持って糊付けして綺麗にくっ付くようにその上に布団を敷いて一晩寝る二人が果たして生まれるのが早かったのか…。

時代が追いつきました。いやいや、違う違う、我々があれこれ気づくのが遅かったの!
だって誰も教えてくれへんかってんもん。二十歳になったら国民年金払うって教えてくれたっけ?覚えてないだけかもしれませんが。

かっちゃんと出会って今年でちょうど20年経ちました。お婆ちゃん、叔父さん、お姉ちゃん、の次に付き合いが長いのがこの酒呑みです。
二人いろいろ変わりました。十代の頃の僕らは凄く、物凄く人間ではなかったです。二人して毎日、どうやってとっとと死ぬかって考えてました。

それはドライアイスよりも冷たく、更にもっともっと冷たく、冷たさで火傷するほどでした。

かっちゃんに劣等感を抱いたワシは、元々ベース弾きだったけど、どうしてもギターを弾きたくて、その修行のつもりでザ・ソロシップスに入れてもらいました。でも程なくして無理矢理かっちゃんをバンドに引き入れ、楽曲制作や練習に一年をかけてライブをやりました。

ザ・ソロシップスでのライブは最高に楽しいものでした。ライブの終わりには「終わりたくない」というワシの欲求の為に常にノイズだけ出す時間があったりして、もっともっと綴りたい思い出はあるけど、思い出は優しいからやめておきます。

ザ・ソロシップスは一般受けは悪かったけど、なぜか業界受けは良かったです。最初で最後の作品になった「過去え門アニマルプラネット」という作品を出してくれたファッキンレーベル以外にも、芸能プロダクションなどから誘いがありました。

アルバムを出す一年前にワシの母親に癌が見つかり、余命が短くて、その世代の人を満足させる為に必要なことは成功よりもただのしっかりとした過程だと勘違いしたワシは、バンドメンバーの一人一人の家に行き「東京でバンドをやりたい」と伝えました。

結果、それに賛同できなかったメンバーがいた為にバンドは解散しました。今だにあのバンドを潰したのはワシのせいだと思ってます。みんなに本当に申し訳ないと今も思っています。

そしてsafarisを始め、だんだんと音楽で生きるということに対し自分とみんなの価値観が合わなくなってワシはバンドを抜けました。

それからは一人で活動、といってもほとんどなにもしていないけど、マイペースでそれはそれでいいと感じています。


さて、chap tuneというバンド(二人だけだけどユニットとは思ってません)を再開しようと思ったのは、だんだんと自分の様々な意欲が出てきたことと、自分の音楽に対するスタンスがきちんと分かったこと、そしてかっちゃんという本物の天才を活かせる天才はワシだけだと思ったからです。

いろいろとかっちゃんと顔を合わせて話しました。とりあえず年内には二人で必ずライブをやります。作品は何年かかっても作ります。恐らく俺ら二人はどのミュージシャンも敵わない。自分たちの好きで尊敬するミュージシャンも、俺ら二人には勝てない。
それくらい思って挑みます。

お互い冷たく生きた十代を越え、もう三十代も半ば、「俺ら気づくの遅かったなあ」「だって誰も教えてくれへんねんもん」とばっかり二人して話しました。僕らにはようやく人並みの体温が宿りました。

二人して話した帰りにはワシはずっと泣いてました。泣くことなんて十代の頃はなかったのに、今はそんな簡単なことで泣くことができます。

生きててよかったなあ、かっちゃん。


chap tune、再開一曲目のタイトルは、


「Peace」

2013年4月23日火曜日

そのひゃくにじゅういち

そのひゃくにじゅう

少し時間が経ってしまいましたが、日曜日のことを。沢山のことがありました。

お昼過ぎ、香川県在住の島津田四郎さんという方が高瀬川フォークジャンボリーという催しに出演するというので、木屋町の高瀬川沿いの元立誠小学校へひとり出かけました。

島津さんは、高松に住んでいるお友達が曽我部恵一さんのライブを観た時に共演で観たそうで、凄く良くてCDを買ってわざわざワシに送ってくれたのです。

CDを聴いたら本当に良くて、なんだか楽しくて、そのCDは曽我部恵一さんの実家で録音されたもので、なんの飾り気もない凄く素直な音楽と独特の歌詞で一発で虜になりました。
CDには「うどんサイケ」と曽我部さんのことばも添えられています。

CDを頂いてからは随分と時は経っていましたが、ライブを観る機会はなく、ただただCDを聴いてました。

そんな折、そのお友達が京都で島津さんがライブするよとメールをくれて、ちょうど都合の良い日もあったので行こうと思いました。

さて、ワシは松本敏将さんの時にもそうだったのですが、本当に好きなミュージシャンとはやっぱり何か一緒にやれたらなあと考えるようになったのです。
そこで念の為に自分の連絡先を書いたカードと、あいにく個人CDの在庫が今は無いので在庫が潤沢なザ・ソロシップスのCDと「一緒に何かやりたい」というお手紙と、「うーむこれだけでは…」と、動物の折り紙をふたつ折って袋に入れて持って行き、ライブを観て本当に一緒にやりたいと思うような人だったら勇気を出して声をかけてこれを渡そうと思いました。

、、、動物の折り紙、、、ワシはそういう人だと言っておけば良かったと後悔してます…。きっと困惑されたと思います…。

開始に少しだけ遅れましたが、良い場所でライブを観れました。想像通りの良いライブと、少し寒い春風に乗った凄く響きの良いギターの音と島津さんの歌声が気持ち良かったです。

というわけで終わった後に声をかけ、随分と怪しい格好をしていたせいで少し怪しまれながらもきちんとお話もでき、今後少しずつこのお話は進んでいくことになります。

この映像がすごく好きです。フェリーがぬぼーって。波ざぱーんて。でっかい画面で観てくださいね。


その後は特急に乗って梅田へ。ちょっと久しぶりに行った梅田にOPAとかH&Mとか出来ててびっくりしたけど、まあ両方とも行くことはないです。

目的地はMARUZEN&ジュンク堂書店 梅田店。そこで「こどもプレス5周年記念フェア こどもプレス×筒井大介 おもしろい絵本作ってます」というフェアの関連で、去年こどもプレスから「オオカミがとぶひ」という絵本を出版され、日本絵本賞大賞を受賞されたミロコマチコさんが一日店長になるというので、その様子を見に行きました。筒井さんもお友達なので。

ワシが行った時間はちょうど休憩時間に入られたようで、撮影の係の方が教えて下さったので、しばらくフェアを眺めていました。

筒井さんとの出会いは東京ででしたが、お互い同じような時に京都で暮らすことになり、去年の夏はおっさん二人して鴨川へ網持って魚採って観察したりして遊んだりしました。凄く穏やかで、でもパンキッシュな格好をした素敵な人です。

フェアの書棚にこどもプレスから絵本を出版された方から筒井さんへ向けたメッセージが絵本と共に飾られていました。荒井良二さんスズキコージさん、数々の方々。
ひとつひとつ読んでいくとなんだかじんわりしました。「編集」という仕事がどういうものなのかワシには詳しくは分からないけれど、仕事というものはやはり人と人の繋がりの縁で成り立ち、その縁が強ければ強い程に良いものになるのかなと思います。

休憩中とのことなので、しばらくワシも馴染みのKALDIへ行きコーヒーを飲み、何かのジャムをクラッカーとああだこうだしたり、ガーリックのなんだかをクラッカーとああやってこうやってしたり、黒糖のよく分からないけどKALDIへ行ったらたまに食べるあれを食べたりして過ごし、雑貨屋へ行き、欲しかったリサ・ラーソンさんの猫のキーホルダーを見つけ、来月買うんだとお店の名前をメモしたりしたくせに値段が書いてなくて果たしてこれはメモしても良いものかどうかとしばし考えたりして過ごした後、また書店へ行きました。

書店ではミロコマチコさんがライブペイントをしていて、それはほんの短い時間だったのだけれど、その短い時間で見事な躍動感のガゼル(すんまへん、わからん)を描きました。
写真を撮っても良いとの事だったので、ミロコさんと共に絵の写真を撮らせて頂きました。それは秘密の写真です。

京都のnowakiさんのオリジナル手ぬぐいをミロコマチコさんが絵を描いていて、それにもらったサインは宝物です。

絵を描く人と空間を共にすると、いつも「凄いなあ」の感覚が強いです。音楽のそれとは全く違うもの。きっとワシがちっとも絵を描けないからなのでしょうけれど。


ふう。


5周年の後は、お世話になっている中之島のセレクトショップ struct の2周年記念パーティーへ向かいました。

前日、「手ぶらで行くのも…」と考え、また島津さんの時のように手作りで用意しようとして、朝から翌朝まで延々と作業したのに結局中途半端に終わってしまい、何でもかんでも手作りでは駄目ということと、土壇場で用意しようとしないということを今決めました。今です。

お店へ行くと無茶苦茶たくさんの人がいました。この前のミニ四駆大会よりも更に更に大勢の人、人、人、人、人、あ、石川武志。石川さんがワシを見つけてくれました。

店主の本屋敷さんからは2周年のノベルティの「APSU × struct」特製の巾着を頂きました。5,000円以上お買い上げの方へ先着とのことなのでどうぞお早めに。かっこいい。新しいショップカードもかっこいい。



APSUさんの動物のステッカーとかミニ四駆大会の時に実はずっと見てました。すごく好みです。

パーティーはフリードリンク、フリーフードという大盤振る舞いで、とりあえずなんでもいいので入れて下さいと頼んだら焼酎をコップに波々と入れて下さいました…。食べ物やワインも頂いて、しばらくふうと考えて、割と遅くまで居て本屋敷さんの別の顔であるDJ Yagraのプレイで踊ったりして遊ぼうって考えていたけど、ちょっとkat-changと会って話がしたかったので連絡すると、案外早い時間に会えるとのことだったので一足お先にお邪魔しました。

Facebookから素敵画像頂戴致しました。


ともかく、struct様、スタッフ一同様、2周年おめでとうございます。今後も3周年、5周年、ずっとずっと周年、今のまま、今以上に素敵なお店を作り続けて下さい。ワシもストアに置いてもらう価値ある品を作れるように精進致します。皆様、ありがとうございました。


で、kat-changと、いつも通り呑んだ。





わけではなかったのです。この日は。


ちなみに、終電を逃したことに改札に入ってから気づいて、それも何秒とか入ってから何分とかすごく細かい時間で逃し、まあどうにかなるかと、高槻市駅行きの電車へ乗り、高槻市で降り、京都まで歩いてワシは帰ってきたのでした。

二度と歩かん。

2013年4月20日土曜日

そのひゃくじゅうきゅう

SoundCludという音楽をアップロード出来るサービスに最近ちょこちょこアップロードしています。(日本ではJASRACがうるさいと思うので気をつけて規約を読んで下さい。ただし英文。)

最近はずっとkat-chanとやってる「chap tune(チャップチューン)」チャップリン、ジョン・レノンを射殺されたとされるマーク・チャップマンから。

もうもうもう18歳くらいかややってるけどわ大したことはやっていません。やっていないというか、完全な気分屋です。ライブが確か1回(対バンがザ・ソロシップス)カセットテープの作品が1本、CDが2枚、プロデュースCDが1枚。

18の頃からだから15年は経ちました。それなのにキャリアはそれだけです。それは単に自分たちが気分訳であるということと、徹底して「自分たちの表現、気持ちを人に分かられないものを創る」というところに辿り着いているからです。
人に分かられたくないという全く矛盾したことをやっているのです。

昨晩kat-chanから電話あって、そろそろ何か作ろうかぁという話になったので、二年後くらいには新しいchap tuneの曲が聴けたらいいね。


ワシ個人の曲は近々聴けるようになると思いますよ。

2013年4月18日木曜日

そのひゃくじゅうはち

今朝Facebookに掲載したことをもう一度こちらでも。

皆々様へ
ワたくシ、二年程前から携帯電話を二台持っていまして、人によってはこのことがきちんと行き届いておりません。申し訳ないです。

ついては、6月頃から『080~』で始まる電話番号と『~@softbank.ne.jp』のメールアドレスが使えなくなります。

一応ほとんどの方には2つの電話番号とメールアドレスをお伝えし、何故二台持ちなのかをお話』している方もいますが、そうでない方についてはこの場でお話するつもりはありませんのであしからず。

何分阿呆なワたくシ故、伝達ミスも多々あることと思います。

ご面倒ですが、『090~』の電話番号とGmail(キャリアメールは基本的に使っていません)をご存知ない方は、メッセージでもコメントでも構いませんのでご一報ください。
連絡先を知りたい方でも結構です。当方一応求職。

ご面倒おかけしますが宜しくお願い致します。


写真は来月2日から展覧会を開く石川武志さんに描いて頂いたもの。
個展のお知らせはまた後日。

2013年4月16日火曜日

そのひゃくじゅうなな

ここ何日かでこのブログのデザインを変えたりしているのですが、お分かりになりますか?

フォントを変えたり大きく、または小さく、全体のバックの色を変えた日も二日ほどあります。

なるべく見やすくすっきりとしたデザインにしたいのですが、ワシはこういうことのセンスが全くないので困ったものです。しかもこういう仕事をしたいという希望も少しあります。


友達であり、ワシが一番好きな絵描きの石川武志さんの個展が今年もあります。モノクロをテーマにした展覧会も早五度目、とっても楽しみです。

Facebookには、画像が一枚載っていて、それを見ながらギターを弾いて歌ってみました。
白い靴を履いた少女を、黒い目で見つめる少年の歌。

これは春風に乗っかったら綺麗で楽しい音楽になりそうやなあと思いました。

2013年4月15日月曜日

そのひゃくじゅうろく

いろんなことに違和感を感じることがあります。

たとえば過去の自分と現在の自分。

ひょっとしたら現在の自分と過去の自分は他人で、どこかの時間に入れ替わっているかも分からない。と思うことがあります。

幼い頃の記憶はもちろん頭と心の中に深く深く残ってはいますが、それが本当に現在の自分に繋がっているのかは分からない。

これを読んでくれている画面の向こうのあなたも、過去の自分と現在の自分が同一人物だと心の底から思えますか?思えるといいね。それがいちばんいいよ。


TwitterというSNSがあります。ソーシャルネットワーキングサービスというもの。

以下Wikipediaより抜粋
"ソーシャル・ネットワーキング・サービス(英: social networking service、SNS)とは、社会的ネットワークをインターネット上で構築するサービスのことである。

代表として、日本ではmixi、GREE、Mobage、Ameba、世界ではFacebook、Myspace、LinkedInなどがある。"

このTwitter、ワシは2年と少しやっています。知らない人もいるとは思いますが、『〜なう』とかいうあれです。「なう」なんて実際使ってる人は今はあんまりいないですけどね。

近頃これにも違和感があります。ワシはFacebookもやっていて、そちらは現実の世界の友達がほとんどです。ちゃんと面と向かったことがないのはエマーソン北村さんだけです。

でもTwitterはそうではなく、ほぼ大半の人(フォローやフォロワーと言います)が顔も分からない人ばかりです。

その中で文章だけで会話するようになった人もいますし、実際ワシの恋人はこのTwitterで知り合った人です。(別に書いてもいいよね…。)

会ったこともないのに親切にしてくださる方もいました。お米を送って頂いたり、ポストカードを送って頂いたり。
その方とは一昨年に会うことができてとても嬉しかったです。

でもなんだか近頃違和感があるのですな。
ワシが何かを投稿しようと携帯電話でカチカチ打ち込んでも、「あら、これ見て誰がおもしろいのか。はたまた良い気分になるのか。それとも嫌な気持ちになるのかも。」なんて思って、投稿せずに文章を削除するのです。だってほぼ知らない人たちに向けて何かを発信するのだから。

何か宣伝するようなものならまあわかります。それは立派で有効なプロモーションだと思います。
ですが一体ワシの顔を知らないひとたちが「シャワーのお湯加減が難しい。」だなんて読んで何が楽しいのか。

なんて考えるようになってしまいました。それはきっと最近になってFacebookを始める友達が増えたことと関係があるのかなと思います。ワシがFacebook始めた頃は、ワシと下の名前が一緒の見ず知らずの人とドミノピザしか友達がいなかったのに…。

だから今はTwitterとFacebookとブログで縦断していろいろ吐き出してます。人によっては「吐き出すことに意味はない」とか「そんなんノートに書け」という人もいるのですが、ワシは、ワシの居場所はここなのかなぁと思います。良いことをたくさん綴れれば良い。酷い写真や文章で人を怒らせたり傷つけたり悲しませたりしてしまったこともあります。
でもここにワシはまだこれからもいます。

嫌な気分にさせないようなことを綴れるように心を鍛えたいです。

そのひゃくじゅうご

少しずつ、いろんなことをやっていこうと考えています。「やらなければいけない」という想いもそこにはあります。

元来ワシは、とてもせっかちでとてもイライラし易く、そのくせどこかのんびりした部分やトロトロしたところがあるという、まったくの二面性を持っている人格だと自分では思います。
そういうところは病気云々が関係しているかは分からないですけれど。

しばらく中断していた羊毛フェルトも、そろそろできそうです。去年structでアンクレットを置いて頂けたので、また何かそういうものも作れたらなあと考えています。

音楽の方は、もうずっとずっと冬眠状態です。こっちの方はもう少しゆっくりでもいいかなあとは思っていますが、iPadを入手したので、アプリを使って簡易的な曲を1週間に1曲、もしくはそれ以上のペースでSoundCloudにアップロードするのもおもしろいかなあと考えています。

こんなん使ったり(サンプラーというものです)







いろいろあるけど使い方がまだあんまり分かりません。

これはパーティー用やね。

歌も作りますよ。秋にはまたパーティーをしようと企んでいますよ。むふふ。


2013年4月14日日曜日

そのひゃくじゅうよん

今日、右側の上と下の二本の奥歯を脱ぎました。

まあ、それだけです。

晩ごはんはたけのこごはん。京都産のたけのこが安かったんです。美味しかったです。

まあ、それだけです。

2013年4月13日土曜日

そのひゃくじゅうさん

人生で初めてのことをしました。

そしてそれは、恐らくこれからの人生でもう二度とはやらないことです。


ワシは本当に本当に真っ当な生き方をしたいです。それが例え今や、音楽活動に懸命に打ち込んでいた若いあの頃より退屈なことだとしても、ワシは真っ当な生き方をしたいのです。

楽しいことなんかはきっとその中から見つけられると思います。
ワシには、かっちゃん、リキ、寺さん、ふっし、タップ、あかねちゃん、じゅりちゃん、くっち、ミラボちゃん、という音楽を通して一丸となれた素晴らしい家族がいます。リキとあかねちゃんのお母さんにいたっては、みんなのお母さんというような存在です。東京で暮らしているなおっちだって、ソロシップスのメンバーです。主に宿担当ですが。リキの結婚パーティーに出席できなかったワシに代わってギターを弾いてくれたはっちゃんも。もちろん、純也、豊も。

今はそれぞれ家庭を持ったり、別のバンドで皆がんばっています。みんなはワシの家族です。父親が元々いないワシの、母親が死んでしまったワシの、兄が蒸発してしまったワシの、絶縁寸前までいった姉という複雑な家族構成を持ったワシの家族です。みんなのことをワシはいつも想っています。愛しています。


冒頭に戻り、人生で初めてのこと、それはまたこんどみんなで会えたらお話します。きっとね。

全員が写っている写真がないのでおいなりさん。

2013年4月12日金曜日

そのひゃくじゅうに

近頃、このブログやTwitter、それにFacebookに自分が投稿することに少し違和感を感じます。

何かお知らせできるような事柄が少しでもあればいいのですが、現状それはないし、物作りやギターの演奏も、手があまり上手く動かないということで中断しています。
自分の身勝手で作品をもう随分待たせてしまっていることは本当にも申し訳ない気持ちでいっぱいです。

身体的には一時に比べると随分マシにやったと感じています。今日病院へ言って、先生と話をした時には初めて先生の前で笑うことができました。それがもう自分ではとても嬉しい気持ちになりました。
でも処方された薬が処方箋の薬局になかったので、また明日取りに伺わないといけません。ここの薬局には小さな犬が居ます。明日会えるといいなぁ。

身体がマシになったことで、そろそろ物作りを再開致します。音楽の方もも、どうししても音楽をつけたい素晴らしい絵があるので、それを初夏までに完成させたいでう。

そして秋にはまたtobaccojuiceの松本敏将さんを迎えて、『音楽と魔法とふしなごはんパーティー』の二回目を開催したいと考えています。ギターのおおくぼさんも呼びたい…!ですが難しいわにぁ〜

そのひゃくじゅういち

あちこちで桜を観てきました。

とこも綺麗でした。


今年も真夜中の一人お花見大会へ出発して、また円山公園へ行きましたが、ビニールシートが沢山敷いてあったり、そこらで場所取りの為に野宿してる奴らが大勢居て、興醒めでした。

花見好きなやつらは桜なんてただの口実で、本当は人を見たいだけなんだろうなぁ、と散らかるゴミの山を観て思いました。あそこはもう行かん。

ビール片手にふらふら徘徊していたら平安神宮の方へ出ました。人と全く居ず、のんびり花見することができました。

ワシは花見は大好きやけど、その度に遭遇するデカイ声で暴れる酔っ払いやゴミを散らすバカ共が大毅らです。だから毎年夜中に一人で花見をするのです。

まあたまにお呼ばれすることはあっで、必ず一人抜け出す時間を少しでも設けるようにしてます。
酒飲みたければはなから居酒屋行けばいいし、時たまTwitterなんかで見る「雨わったら駅前の居酒屋で飲みます!」なんてバカな約束ごとは全く意味が分かりません。

「みんなが楽しければそれでいい」という気持ちもあるけれど、同時に違和感も感じています。

菜の花観たいなぁ。一面真っ黄色な絨毯。


琵琶湖の疎水のところが一番綺麗でした。


祇園の灯路と提灯




2013年4月9日火曜日

そのひゃくじゅう

あれこれやろうと意欲が少しでも湧いても、結局ばたりと気持ちが失せてしまう日が割と多い毎日であります。

それでも元気なふりして過ごせてるつもりです。

春は少し寒いね。